好きなものを雑多にレビューするブログ

主にアニメ、映画、ゲーム、舞台等について、雑多なレビューを書き置いていくブログです

この時代に輝く翼を背負って生まれたきみに ~ シャイニーカラーズ2周年に寄せて(2020/04/24)

4月24日本日、アイドルマスターシャイニーカラーズが2周年を迎えた。

これはめでたい。おめでとうございます。

あっという間の二年間だったと思うのだけれど、振り返れば思い出が山のようにあるので、やっぱり時間は経っているのだ。長かったような短かったような。この二年間はずっと一緒だったなぁ。

 

この文章は解説や考察ではない、ただただ自分のために書き殴った文章なので、お見苦しい点多々あるかと思いますが、お時間のある方はお付き合いください。

 

学生時代から社会人数年目にかけて、自分はずっと演劇部と、その流れからの社会人劇団で活動していた。時に役者として舞台に立ち、時に演出家として舞台と向き合い、時に脚本を書いたりした。

そんな生活を続けていたものだから、多分、これまでの人生において他の人よりも「物語」というものと向き合う時間は長かったという自負がある。となると、当然多くの物語と出会っては別れる中で、好みの物語の傾向というのはどうしても見えてくるし、それに対して分析的にもなる。

 

好きな劇作家の一人に、鴻上尚史先生という方がいる。多分、名前だけなら見たことがある人も多いと思う。彼は同時に優れた演出家であり、文筆家であり、ラジオパーソナリティでもあるのだが、私は特に劇作家という形で彼を愛しているのでそうご紹介させていただきたい。

彼が長く率いた第三舞台という劇団(2011年に解散している。解散公演を生で見られて本当に良かった)は、個人的な感覚としてとてもかっこいい劇団だった。どうかっこいいかと言われると、彼らは人間と人が生きる社会のカッコ悪さ、みっともなさ、恥ずかしさを描いた上で、それらに折れない、絶望しない人々を舞台の上に描いた。そうしてそれらの物語はいつも、鴻上先生の脚本の「やさしさ」の上に成り立っていた。

彼の著作のひとつである『リレイヤー』という作品の中に、彼が芝居を作る理由でもあると自ら語る、こういったセリフがある。

 

『幻の劇団は、絶望した人の所に必ず現れるんだ。そして、絶望した人の涙を拭くハンカチのような公演をするんだ。絶望の原因そのものには無力さ。だから、涙を拭くハンカチになれればいいんだ』

 

若い自分は、それはもう感銘を受けた。自分なりに咀嚼して、何度も反芻して、噛み砕いた。物語は現実の問題を解決してはくれない。だけど物語は、時に誰かの行く道を照らし、かじかむ指先を温め、涙を拭うのだ。そうしてその時、物語は必ず『記憶』としてその人の胸の隅っこに存在しているのだ。だとしたら、それは他ならぬ”価値”ではないか。

それは涙が出るような”救い”だった。子供の頃から父親に「好きなもの」を否定されて育ってきた自分にとって、人が生きるために必要なものが『物語』であっていいと、父親ほどの年齢の大人が言っているのを見るのは、生まれ変わるに等しい衝撃だった。

そうして10年ほど、私はお芝居にのめり込んだ。そんな中でアイドルマスターシンデレラガールズのアニメに出会ったりもして、当然、『物語』を愛した私はそちらにものめり込んだ。

そんなこんなで10年生きていると。まぁ色々あるわけで。色々な物語と出会って、別れた。『大好きだ』と思える物語に出会うことも減った。

そうして色々あって、東京での活動が続けられなくなり、実家に戻ってなんとなく生きていたところで、いよいよ長ったらしい自分語りが終わり、アイドルマスターシャイニーカラーズと出会った。

 

シャイニーカラーズに対する期待は、自分にとって初めて「サービス開始から触れられるアイマス」ということで、かなり高かったと記憶している。しかしそれ以上に今でも覚えている、サービス開始数日で始まった「Light up the illumination」のイベント、第4話「1番輝く、そのために」を読んだ時の衝撃こそが、自分と『シャイニーカラーズ』の本当の出会いだった。

そこにはやさしさと、自分の失敗に折れない人の姿があった。めぐるは、灯織の気持ちを恐らく知っていて、彼女が自分から口にするのを引き出し、待った。今だからわかる。最初から一貫していたそれは「あなたの気持ちを私は決めつけない」というめぐるのやさしさだった。

灯織は変わろうとした。自分の弱さを受け止めて、「それは良くないことだよ」と教えてくれた『仲間』のために変わろうとした。そうして変わろうとした灯織を、めぐるは大袈裟に喜んだりせず、「うん」という言葉で受け止めた。

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それは間違いなく、自分が好きな、そして多くの人が好きであろう、「やさしさ」を骨子にした物語だった。

思ってもみなかった『物語』の存在感に、当時の自分は大層面食らい、のめり込んだ。

だが、当初のシステム面がお世辞にも褒められたものではなかったこともあり、周囲のシャニマスに対する反応は芳しくなく、「この子はいつまで続けられるんだろう」という漠然とした不安とともに、Twitterで出会った(一方的に認知していたとも言う)数少ないプレイヤーとともにシャニマスの魅力を必死になって発信続けた。

 

そんな中迎えた2018年9月のTGSのイルミネのミニステージは、リリイベ以外で初の公の場でのシャニマスのライブパフォーマンスということもあり、ニコ生ではあるが固唾を飲んで見守っていた。コメントでも少しでも盛り上げたいし、何よりも彼女たちの「中の人」が、どう舞台に立つのかが気になって仕方なかった。

この辺はもう、最高だった記憶しかない。どんどん舞台の上で洗練されていくパフォーマンスと、シャニ1stの発表。大袈裟だと言われたけど、安心して本気で泣いた。

 

自分の杞憂をよそに、シャニマスはどんどん加速した。

1stライブは最高の思い出で終わった。現地チケットは手に入らなくて涙をのんだが、現地物販に行って、世界にはシャニマスを好きな人がこんなにたくさんいたのかと驚いて、嬉しくなった。

1stの最高のパフォーマンスと、ストレイライトの追加発表、1周年施策がひと段落した頃には、新規プレイヤーもかなり増え、もうコンテンツの存続に関しては心配することもなくなった。

サマパ辺りから、シャニマスを好きなオタクとの交流も少しずつ増え始め(いつもお相手していただいてありがとうございます)、ネット上での交友関係に疎かった自分も少しずつ「知り合いのオタク」が増えてきた。

 

その間にも、シャニマスはどんどん物語を紡ぎ続けた。紡ぎ続ける中で、少しずつ変化が見えてきた。感謝祭辺りから、物語にほんの少しずつ「痛み」が混じるようになってきた。それは人によっては望ましくなく、自分にとっては好ましい変化であった。

シャニマスはこの1年間、「やさしさ」から逃げず、描き切った。やさしさから逃げない人は、「痛み」との正しい向き合い方を知っている。少なくとも、今まで僕が出会って来た『物語』を書く人たちは、皆そうだった。

シャニマスは期待を裏切らなかった、その粋が、去る2月に開催された「薄桃色にこんがらがって」である。それは敗北する人間と、それを越えていく人間が、それらを飲んで、そろって前進することを選ぶ物語だった。詳細な感想は当ブログでも書いているので、一戸前の記事を読んでください(宣伝は基本)。

 

そんなこんなで、この2年間はずーっとシャニマスが好きだった。基本的にそういう性質のオタクではあるが、失望するようなことは一度もなかった。言葉にするのが難しい概念ではあるが、その絵に、芝居に、テキストに、込められた物語を愛した。

そうして3月、当然開催されるはずだと信じていたスプリングパーティは、皆知っての通り、世界中に蔓延した新型コロナウィルスの影響により中止になった。5月に控えていた2ndライブも中止が決まった。仕方ないとは言え、やりきれなかった。

 

この時代に生まれたことは、シャニマスにとって不幸だったのかも、と思うこともあった。でもすぐに違うと思ったのは、シャイノグラフィのフル尺で2番のサビを聴いた時だった。確かに歌っているのだ。「世界に希望を見せたい」と、彼女たちは歌っている。

それは全くの偶然なのだろう。作詞作業なんてのは世界がこんな状況になるもっとずっと前からやっているはずであって、そこに関連を見出すのはきっとナンセンスなのだ。

でも、そこに意味を見出す人間が一人でもいれば、きっとその偶然には価値があるのだ。かつて「演劇は涙を拭うハンカチだ」と教えてくれた人が、自分の呪いを解いてくれたように、このワンフレーズに、愛の言葉に、私はまた希望を見て、彼女たちを好きになるのだ。

 

シャニマスを愛する自分を、高尚な人間だと思ったことは一度もない。善良な人間でいたいと思いながら、時に悪意で人を傷つけ、時に無自覚に誰かを踏みにじり、それに気づきもせず平気な顔で歩き去ったりもする、そういうどこにでもいる人間の一人だ。

でも、私の心にはこの2年間少しずつ積み上げてきたシャイニーカラーズの物語があって、くじけそうなとき、苦しいとき、泣きたいとき、そっと涙を拭ってくれる。その事実が、私には嬉しくてたまらない。

 

改めて思うのだ。

特別でも何でもない、自分なんかに寄り添ってくれてありがとう。

これからも、良い時も、そうじゃないときも、きっと一緒にいよう。

たくさんのお話を聞かせてください。楽しみにしているよ。

 

現実の問題に対して、『物語』は無力だ。それでも、涙を拭うハンカチにはなれる。

この混乱と分断、不寛容の時代に、私の涙を拭うハンカチがあなたであってくれて本当に良かった。

改めて2周年、本当におめでとう。

 

 

あなたのファンより

薄桃色にこんがらがって それでも人生は続く(2020/02/29)

気付けば前回の記事から丸一年以上が経っていた。

 

自分の中でこのブログの意義はその時感じた色々なコト、すきなモノに関して、新鮮な気持ちを噛み砕いて書き残して置くこととしてます。

そういう意味ではこの一年、この気持ちをずっと大切にしたいと思う出会いがたくさんあったけれど、まぁ生来の筆無精が祟りTwitterに気持ちを垂れ流しては満足しを繰り返してました。だってTwitter楽しいじゃん。楽だし。

でもいよいよそうも言っていられなくなる出会いがあったので、こうして一年ぶりにブログを書いています。皆様もうお分かりかと思いますが、遂に愛するアイドルマスターシャイニーカラーズ(シャニマス)について語る時が来てしまった。しかも、担当のイベントという形で。

 

というわけで、当記事は去る2月29日(閏日!)から開催されているシャニマスのイベント、『薄桃色にこんがらがって』の内容を含む記事となっております。徹底して担当である桑山千雪視点で語っていきます。

未読の方は自己責任で。よろしくお願いします。

 

 

 

なんて書き出したは良いけど、正直何を書けばいいかさっぱりわからない。頭にぼんやり薄桃色の霞がかかって、思考はこんがらがったままで、今この文を書いてる段階では、本記事のタイトルさえ決めあぐねている。

わざわざこんなブログを見に来てくれている人に対して、今更イベントの内容についておさらいするつもりもない。かと言ってピンポイントでここがいい!ここが最高!という話もしにくいイベントシナリオだった。

ただ、今日ここに到るまでなんとなく感じてきた「ああ、シャニマスは"寄り添ってくれている"んだな」という気持ちが『Star n dew by me』で爆発し、今回の『薄桃色にこんがらがって』で心臓を一突きされ、絶命したオタクは自分以外にもかなりいたんじゃないかと思っています。

 

そう。「何があっても大丈夫」を一つ深い段階で掘り下げて、提示してきた衝撃があったのかもしれない。

つまるところ、この場合の「何があっても大丈夫」は「何があっても最後はハッピーエンドになる」じゃない。言うなれば「ハッピーエンドじゃなくても大丈夫。あなたの人生は続いていくし、あなたの大切なものは壊れない」である。

衝撃だった。だって、めでたしめでたしのエンドロールが流れなかったんだもん。それでも、これを読めて良かったと心から思えた。

恐れながら一歩踏み出して、傷付いて終わった貴女の姿が、そうして大人になる貴女の姿が誇らしく、美しいと思えた。それは時にどんなハッピーエンドよりも優しく、我々の心に小さなぬくもりを灯してくれる。シャニマスにはこれが出来るのかとひっくり返った。ライターと夜通し酒を飲みたい。話を聞かせてほしい。

 

シャニマスにおける自分の担当は、幽谷霧子、有栖川夏葉、そして桑山千雪の三人である。

霧子と夏葉に関しては、サービス開始直後からこの子達が担当だと思っていた。千雪に関しては、少し遅れて『満開、アルストロメリア流幸福論』と【マイ・ピュア・ロマンス】のコミュを読んで担当しようと思ったのを覚えている。

けど、何がそこまで刺さったのかと言われると、正直あまりハッキリとは覚えていない。今思えばただただ物語の構成の凄まじさに唸ったのと、「この人がどんなアイドルになっていくのかを見てみたい」だったのかもしれない。

それまでの3ユニットのイベントを経て見ても、シャイニーカラーズの世界はどこまでも優しかった(今にして思えば、結構なロングスパンで成長に対する"壁"が設定されていると舌を巻く)けれど、アルストロメリアのイベントは千雪の『優しさ』が壁になっていた。だからこそ、双子に手を引かれて一歩を踏み出した彼女が、その後どうなっていくのか見守りたいと思ったんだと……思う……多分……

 

で、それに対する答えが感謝祭を経た、この『薄桃色にこんがらがって』である。

もう、感謝である。これが読めるとは。別にゲームのライターをやったことがあるわけじゃないけれど、絶対に避けるテーマだもん、これ。このシナリオパックいくらだっけ。基本無料?マジ?これで?と頭がおかしくなる。

このイベント、実は過去のイベントと比較して"何が刺さったか"が一番分かれるイベントじゃないかと個人的には思っている。主線のテーマすら、受け取る人によって変わってくる気がしているので、個人的にここが刺さったという話をしていきたい。

 

■アイドルとして"戦う"こと

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これである。

アンティーカならわかる。ストレイライトでもわかる。でも一番最初にユニット内でこれをやったのが、『未来への憧れ』の花言葉を背負ったアルストロメリアであり、大崎甘奈と桑山千雪というアイドルであることが、このコンテンツの持つ"パワー"の証明になり得るってくらい、もう、好き……としか言えない。シンデレラガールズの論で言えば、『頂点は1つしかない』『誰よりも強く光れ』である。でもこれは歌じゃない、シナリオである。すなわち物語として、勝者と敗者を明文化している。

そうして人を羨んで、戦って、負けた千雪の口から溢れる「悔しいなぁ」の言葉には、言葉にしきれない価値がある。自分が"アイドルもの"に求めて、でもなかなか見ることができないものが目の前で展開していく様子に、心臓がバクバクなったのを感じた。

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これに関しては、見たもの感じたものがストレートに全てなのであまり多くは語らない。ただただ、「そりゃ、悔しいでしょ」「ちゃんと言えたじゃねぇか」「聞けてよかった」である。なんだこの構文、便利だな……

 

■"桑山千雪"を形づくってきたもの

 お気に入りの千雪のコミュの一つに、2019年春に開催された『ピクニック・バスケット』イベントの報酬、【トキ・メキ・タコさん】に収録されている「トーキング・トースト」がある。

内容は「あまりラジオを聴かない」という大崎姉妹に、「ただのまねっ子だけど」と言いながら千雪がラジオパーソナリティの真似をして、『トーキングトースト』というラジオ番組のゲストとして二人を招き、仕事への意気込みをインタビューする、といったものだ。初めてこのコミュを読んだ時、ウキウキでラジオパーソナリティごっこ”をする姿がとても「千雪らしい」と思ったのを覚えている。まさかこの一年後にひっくり返ることになるとは露と知らずに……

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その後一年間、この『トーキングトースト』について触れられることは(記憶している限り)なく、一つの”千雪らしい、かわいいエピソード”として消化していたところに今回の”アプリコット”である。この見せ方が何というか、上手い。

これはあくまで持論ではあるが、二次元のキャラクターを形作るものは”設定”であり、その”設定”に説得力を持たせるものが”描写”である。そしてこの”描写”は、積み上げれば積み上げるほど強い代わりに、バランスを欠くと”設定を補強するためのもの”に陥ってしまいがちである。

我々は二年間、桑山千雪を見てきた。元雑貨屋、裁縫が得意、小物や花や物語が好き、クマの騎士さん、トーキングトースト、「全然、大人じゃないんだもん」……たった数日前まで、それらはバラバラに散らばった”千雪らしさ”のピースたちだった。でも二年かけて積み上げられたそれらのピースは、実は組み合わせると”アプリコットらしさ”になるのではないかという可能性を、この”アイドルとしての桑山千雪”の物語の大一番まで溜めて、いきなり提示してきた(俺なら我慢できずに半年で語っちゃうし匂わせちゃう)。まるで遅効性の毒を気付かぬ内に少しずつ盛られていたような気分になった。

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結果として、”桑山千雪にとってのアプリコット”の重さ=大切さが、この2年分の桑山千雪の描写の重さ=説得力となって我々にのしかかってきたのである。そうして我々は桑山千雪にとってアプリコットがどれだけ大切な思い出なのかを”実感”させられたのだ。聖典じゃんこんなの。

 

■”過去への憧れ”は否定されるべきものか

個人的に今回、一番刺さったのがこれ。

千雪にとっても、アプリコットは手元に残していたとはいえ過去だったはず。でも甘奈が復刊するアプリコットのカバーガールのオーディションのオファーを受けるとなった時、いても立ってもいられずに”戦う”ことを決意する。

ここがまずアルストロメリアのもつ『未来への憧れ』のキーワードに反していた時点で、正直少し、いやな予感がした。アプリコットのカバーガールへの憧れ自体が否定されるような物語が展開されるのではないかとヒヤッとした気分で読み進めた。

 

結論から言うと、シャニマスはいつものように何一つを否定しなかった。これはもうライターの信念なんでしょう。登場人物の誰一人、何一つさえ明確に否定されることがないままオーディションが終わった。 

 

ここから猛烈に感動したのが、イベント報酬sSSR【ドゥワッチャラブ!】桑山千雪のコミュ群で描写された千雪のアプリコットからの”卒業”が”「捨てること」でも「誰かに譲ること」でもなく、「段ボールに詰めて、実家に送ること」だったこと――つまり、「その気になれば取り出せるところにしまうこと」だったことである。

”過去と決別する”という言葉をどうにも飲み込めない人間なので、この描写は本当に救われた気がした。ちゃんとけじめをつける必要なんてない、お別れも必要ない。その気になれば会えるところに、そっとしまうだけでいい。いつか会いたくなったら、また会いに行って、少し話をして、またそっとしまえばいいだけなのだから。


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そうして最後の最後、イベント報酬の最後のコミュで『過去への憧れ』を徹した千雪がそれをきっかけに『未来』を手にして、ようやくエンドロールが流れる。と見せかけて、多分流れない。

過去の憧れは自分の一部になって、人生は続いていく。いい時もそうじゃない時も含めて、こんがらがってわやくちゃになったり、まっすぐに伸びたりしながら、どんな時も三人で手を繋いで歩いて行ってくれたらいいなぁと思う。

 

 

アイドルマスターシャイニーカラーズさん、総じて素敵なイベントをありがとうございました。本当に、担当メインでこんな素敵なイベントが見られて感無量でした。 

本当は甘奈や甜花、アルストロメリアについてももっと語りたいけどそれやりだすと余裕で一万字超えそうなのでこの辺で。

 

オタク、スプパと2ndで死のうな。

Velvet Roseとシンデレラガールズに打ち込まれた新たな『呪い』の話(2019/02/28)

※本記事はデレステ新イベント「Fascinate」コミュの内容を多分に含みます

 

 

デレステ新イベントにて、新アイドル黒埼ちとせと白雪千夜、二人のユニットVelvet Roseが実装されましたね。

僕は基本DD姿勢なので、ご多分に漏れず予告が出た瞬間から大層盛り上がっておりました。まさかこんなことになるなんて。

 

結論から言います。

 

非常に優秀なシナリオでした。

白雪千夜に完全にやられました。

 

合う合わないは別れるとして、間違いなくシンデレラガールズの”次の一手”です。

言うまでもなく、僕は肯定派です。


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Cuアイドル、白雪千夜ちゃん。

 

以下、イベントコミュ内で語られる2人のこと。

 

■黒埼ちとせ

・人を魅了するカリスマ性がある

・千夜は笑顔が世界一可愛い自慢の「僕(しもべ)ちゃん」

・プロデューサーの仕事に同行してサポートできるだけの器量がある

・何者にでもなれると思って"いた”

・一人では幸せにならない

・身体が弱い

・自分がおそらく"長くない"ことを知っている

・夜の散歩が好き

・千夜を「私の僕ちゃん」じゃなくしてほしい

 

□白雪千夜

・悪態やばい

・ちとせは世界一美しいと思っている

・悪夢をたまに見る

・自分は何にも期待しないから、華やかな人生を送る人の手伝いがしたい

・自分の人生の主役であるちとせ以外に興味がない

・12歳で天涯孤独の身となり、親戚である黒埼家の主人に引き取られる

・学友やほかのアイドルへの対応は比較的穏やか

・アイドルをやらされているのはちとせの"戯れ"だと思っており、いつやめることになるか気にしている

・ちとせが”長くない”ことを知っているかは不明(個人的には知っていると思う)

 

ラノベか。

 

明らかに今までのシンデレラガールズのキャラクターの枠を超えた、しかし「じゃあこの子たちはシンデレラガールズじゃないの?」と聞かれたら絶対に「そう」とは言えないこのキャラクター造詣。

シンデレラガールズってなんだ。定義は?ない。アイドル。女性。それだけじゃん。いくらでも盛れんじゃん、いや盛り過ぎ……いやでもこれは……好き……!!

マジですごいと思ったのはこの"長くない"という設定で、これ、メタ的に考えると永遠に"その時"は訪れないんですよ。だから『絶対に死なない』という安心の中で、『もうすぐ死ぬ』という設定を受け止められる。これは好き嫌い別れるというか、もはや禁じ手じゃないかと思ったりもするんですけど、多分実際の死ぬ死なないは重要じゃなくて、そこから創れるドラマをどうアイドルに落とし込んでいくかなんですよね。つい数カ月前に似たような話してたな…

 

コミュの中では二人の関係性が語られたあと、二人がどういうユニットにしていくかを考える流れと、それを見守る周囲の人々が描かれます。描かれるのですが。

本質的には『この二人が、何故アイドルになるのか』が本イベントのメインテーマだと思っています。逆に言えば、この『何故アイドルになるのか』の説明のために、どうしても二人一緒のユニットという形式で送り出す必要があったのだと思います。


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先の長くないちとせの夢は、「残りの人生を楽しく過ごすこと」と、「笑顔が可愛い千夜に千夜らしく生きてもらうこと」。そしてこれを魔法使い(プロデューサー)に"約束"という形で託してくるんです。


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ね、『呪い』でしょ?

文字通り、命がけの約束なんです。この約束が刺さる人間にとっては、白雪千夜を笑顔が可愛い、自分らしく輝くアイドルにすることが"使命"になってしまう。

自分のすべてを懸けてアイドルに挑む子は今までもいました。でも自分の残りの人生を売って、あの子を最高のアイドルにしてくれ、と言ってくるアイドルは、記憶している限り、初めてです。f:id:mametasrv:20190301165307j:image

Pチャンの回答。頼もしい。

 

対して千夜の夢は、「お嬢様を世界一のアイドルにすること」それひとつ。f:id:mametasrv:20190301162833j:image

これら提示された"契約条件"をクリアするために、プロデューサーは二人をユニットという形で送り出していることがわかります。そして千夜の中に芽生えた感情から、これからの『アイドルとしての物語』に必要なものが更新されていきます。f:id:mametasrv:20190301162852j:image

 

そして最後のコミュでハッキリと語られる、千夜に芽生えた何かと、
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お互いの夢を叶えるためにお互いを必要とした二人は、これからはアイドルとして、ファンの為に歌い、踊ることと、f:id:mametasrv:20190301163524j:imagef:id:mametasrv:20190301163539j:image

 

これから二人がどうなるかを我々に託したところ。

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新アイドルをこう作ったのなら、この上ない送り出し方だったと思います。

 

総括として、すでに"物語"が出来上がっている180人弱のアイドルたちに対して、"物語"を引っ提げて、アイドルとしての『スタートラインに立たせる』ためのイベントでした。構成も良かった。

杏の台詞が運営からのメッセージなのは間違いないと思います。でもそのメッセージは、ちひろさん、トレーナーのセリフと併せて受け取って欲しい。それでも許せないなら、まぁしょうがないかなと思うようなものでした。個人的にはプラスに受け取れました。

 

何よりも、シンデレラガールズの新しい方針として、こうして深いバックボーンを持ったキャラクターが出てきたことが、またひとつ次に進むための新しい試みとして評価されるといいなぁと思っています。

今までと同じように、その評価が、今たくさんいるアイドルたちの新しい出番に繋がっていくことも。

シンデレラガールズ、まだまだ頑張ってくれ。応援してます。

 


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「笑顔は世界一可愛いんだから」

Cuアイドル、白雪千夜をよろしくお願いします

SS3A Day1で関裕美さんと会沢紗弥さんに魂を救われた話がしたい(2018/09/08)

※この文章は誰かを批判したり、何かを求める意図で書いたものではないこと、予めご了承の上お読みください

 

アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージ3周年記念公演、SS3Aの初日を見てきました。

本当に素晴らしい公演でした。いやもうマジでめちゃくちゃ最高だったんです、なんだろうなァ全員最高、最高故にどうしても語っておきたいことがあるのでお付き合いください。

 

一部の方はご存知のとおり僕はシンデレラガールズのライブに行くとハチャメチャに泣くんですが、今日は担当がおらず、肩の力を抜いて楽しもう、くらいに思っていました。

公演が始まって30分後くらいでしょうか。今回の割と本命だった藤原肇ちゃんと三船美優さんのNocturneのリアレンジが始まりました。もう、絶対泣かないだろうなぁ今日はw なんて思ってたんですよメチャメチャに泣きました。あのリアレンジはズルいって、ズルいよね?

 

で、ここからが本題です。Nocturneの後、会沢紗弥さん演じる関裕美ちゃんの楽園が始まり、僕はおそらく一生忘れられない光景を見ました。

優しい歌声と柔らかな表情で歌い続ける会沢さんがとても素敵で、本当に関ちゃんなんです。そんな会沢さんが2番のサビくらいからでしょうか、ずーっと泣きそうなんですよ。

もともと笑顔が泣き顔に近いタイプの子だと思うので、会沢さん初心者(?)の僕にはとにかく泣きそうに見えていたんですが、パフォーマンスに自信がなさそうには見えない。多分これは、感情が溢れ出してる。あぁもう泣いてしまうかなぁなんて考えていたらですよ。

大サビに入った瞬間、歌声が一際大きくなって、安定したんですよ。そんな感情が溢れだす姿も、そこから持ち直して高らかに歌い上げる姿も、関ちゃんと関ちゃんのPが歩んできた歴史を感じてしまって、もうね、それでまたハチャメチャに泣いたんですよね。この子はアイドルだ、この子はシンデレラだと頭ではなく心が理解した瞬間でした。(シンデレラは概念なので具体的な定義付けはしません)

 

僕は知らなかったんです。

僕は今日、舞台に立つ関ちゃんを見て、「関裕美はシンデレラだ」と思いました。でも、関裕美はアイドルマスターシンデレラガールズの、アイドルの一人として生まれた時からシンデレラなんです。でも僕は、頭ではわかっていても、今日舞台に関ちゃんとして立つ会沢さんを見るまで、心では彼女がシンデレラであることを認識したことがなかったんだと思います。

もちろん、過去のデータを見れば関ちゃんとPがどんな道を歩んできたかはわかるけれど、それだけでは多分、この子をシンデレラと認めるには足りなかったと思います。

僕は顔を知らない、関ちゃんのプロデューサーたちが、関ちゃんが舞台に立ち楽園を歌う今日この日のまで、ずっと関ちゃんがシンデレラであるという認識のもと、肯定し続けた結果が今日の舞台だったのだと思います。

 

ここ最近、シンデレラガールズ界隈を見ていると恐いなぁと思うことがあります。

自分の担当アイドルに声がつかないことに、疲れてしまった人たちがよく目につくようになりました。これはもう、疲れてしまうことはしょうがないと思います。愚痴を吐いてしまうことも、決して否定されることではないと思います。

ただ怖いのは、格差を呪い続け、(声を)持つものと持たざるもの(便宜的な呼称です)の断絶を是とした場合、自分の担当アイドルに声がついた時、自分の担当が持つ側に回った場合、その子を祝福することが出来ても、すぐに呪われる側に回ってしまうのではないか、と自分のことのように恐ろしくなり、このままではシンデレラガールズは、新しくアイドルに声をつけても、疲弊し続けて終わってしまうのではないかと、勝手に暗澹とした気分になっていました。

 

今日僕は、ボイスが実装されたアイドルが、初めて自分のソロ曲を大勢の前で披露する姿を見ました。

僕は話に聞いただけなのですが、関ちゃんのPはひときわ愉快な方が多く、昔からいつも明るく関ちゃんを支えてきたと聞きます。

もちろん全員がそうではなかっただろうし、それが関ちゃんに声がつき、ソロ曲を貰うための近道だったのかは、誰にもわかりません。ただ、関ちゃんのPたちがそうあることを望んだ結果、僕は今日、舞台の上で世界一幸せなアイドルと、それを支えてきたPたちの努力の結晶を見ました。心からそう感じられるほど、素晴らしいステージでした。

同時に、このシンデレラガールズというコンテンツを、自分の信じたやり方で好きで居続けて良いのだと肯定された気がして、肩の荷が下りた気分でした。

 

 

僕にもまだまだ声がついて欲しいと思うアイドルがたくさんいて、諦めたくはない。いつかその子たちが、今日の関ちゃんのようなステージを披露して、多くの人のハートを掴むことが出来るかもしれない。

自分の心持ちの問題で、何か現実が変わったわけではないのですが、とにかく、そう信じて行動することは間違いではないと思わせてくれた関ちゃんのPと、会沢さんと、誰よりも関裕美ちゃんに、心からの感謝を。

 

本当にありがとう。

映画『リズと青い鳥』(2018/04/27)

二人の少女を繋ぎ止める、たった一つの愛のお話。

 

 

(※以下本編のネタバレを含みます ご注意ください)

 

思い立って、現在上映中の「リズと青い鳥」を鑑賞してきました。

なんだかすごく、すごく懐かしく、温かく、切なく、くすぐったい、とても良い映画でした。

 

もともと2015年と2016年にアニメ化された「響け!ユーフォニアム」シリーズの続編であり、アニメ二期に登場した二年生の二人、鎧塚みぞれと傘木希美の二人に焦点を絞った物語が今作の位置づけになります。

元々のアニメの話に関しての詳細はアニメを見てください。めっちゃ面白いので。

 

で、私アニメのこの2人のエピソードで傘木希美という女を大嫌いになっておりまして。

希美は明るく社交的、後輩からの人望も厚く周りに常に人が集まっているのですが、なんとこの女、自分が原因でみぞれが吐くほどのトラウマ持ちになったにもかかわらず、「自分が何かしたか」といったことを言い放つのです。とんでもねぇ女(CV:東山奈央)だ。

もちろん、みぞれがどれだけ辛く苦しかったかを推し量ることができるのは、アニメーションというフィルターを通して物語を俯瞰している、いわば神の視点にいる我々視聴者の特権なのですが、私は簡単に乗せられた結果顔を真っ赤にしながら「希美、絶対に許さんぞ」となっていたわけです。

ちなみにみぞれはみぞれでたまたま部活に誘ってくれた希美に人生のすべてを捧げるレベルで依存してるやべー女(CV:種崎敦美)です。とにかく重さがすごい。

 

さて、本編の話です。

 

冒頭、朝練のために学校を訪れるみぞれの姿から物語が始まるのですが、もうここからすごい。自分の足音、呼吸音、衣擦れの音、鳥のさえずり、他人の足音、希美の足音。すべての音が、みぞれの感情をうるさいくらいに表現してきます。正直ちょっとうるさいと思ったけど、ここは本当に感動した。

こういった示唆的な、抽象的な表現はギリギリ拾える塩梅だったり、こちらの感覚に解釈を任せるような表現をしてくるパターンが多いのですが、この映画は違う。おそらく絶対に外さないであろう表現で、画面と音のすべてが劇場にいる全員に「みぞれは希美に特別な感情を抱いている」ことを伝えてくる。あれは誰が見てもわかる。

 

主なストーリーの流れとしては、寓話「リズと青い鳥」になぞらえた楽曲をコンクールで演奏することに決まり希美とみぞれがフルートとオーボエの掛け合いのパートを担当することになるが、上手く呼吸が合わせられない。

リズと青い鳥」の物語の中で、独りぼっちだったリズは人間の姿をした青い鳥と共に暮らすことになるが、青い鳥の正体を知り、最後は彼女を大空へと還す。自分とリズを重ねていたみぞれは、愛する青い鳥を鳥かごから逃がすリズの気持ちが分からずに上手く演奏が出来ない。そうこうしているうちに、希美とみぞれの関係もこじれていき・・・といった感じ。

 

語りたいところは山ほどあるのだけれどいくつか抜粋して。

まず、進路希望を書けなかったみぞれが、理科室でフグに餌をやるシーン。

ここでうたた寝をしていたみぞれの瞼に光が当たり、みぞれが目を覚まします。窓の向こうには、反対側の校舎の音楽室で後輩たちと談笑する希美。みぞれが立ち上がると、希美も気づいて手を振る。そのとき、みぞれの体に光が当たっているのに気がつき、自分が手に持っているフルートの角度を動かし確かめようとするのですが、このとき、フルートの反射光が、スッとみぞれの頬から肩を撫でるように動いたとき、劇場で叫びそうになりました。こんな、こんな切ない愛情の錯覚の表現があったのかと。

その一連の動きを見てみぞれは目を伏せて小さく笑うのですが、その隙に希美は後輩たちとの談笑に戻り、窓際からいなくなります。誰もいなくなった窓際を見つめながら、みぞれは撫でられた頬に残る熱を確かめるように手で頬に触れるのですが、この時の後ろ姿にちょっと「ひぅっ」て息が漏れました。

こういった、直接的ではない何かに意味を託した表現が非常に多くちりばめられており、今作の見どころの一つとなっています。

 

もう一つ、ふたりの物語に決着がつくシーン。

終盤でみぞれが物語に登場する「リズと青い鳥」の気持ちを汲み取り、情熱的な演奏を披露し、それを聴いた希美はたまらず理科室に駆け込みます。

ここで希美が理科室に駆け込むのにも深い理由がうかがえるのですが、その後、追いかけたみぞれに対し「アタシのために手加減してたんだ」「みぞれと一緒にいれば自分が高尚な人間になれる気がした」「自分は軽蔑されるべき人間だ」などとつらつらといった挙句、足の動きのカットが入るのですが、明らかにその場を立ち去ろうとします。とんでもねぇ女(CV:東山奈央)だ。

ここでみぞれが昔流行った遊び(ハグしながら相手の好きなところを言い合う)になぞらえて、彼女を抱きとめて、どれだけ彼女が特別かを語るんですが、これがすごいの。

だって「足音が好き」「笑顔が好き」「声が好き」「髪が好き」全部、全部の言葉がどれだけ本気かを、我々はそこに至るまでのこの映画の中で、みぞれの視点でこれでもかってくらい見せつけられている。こりゃあ伝わる。で、希美がたった一言返したあの言葉に、なんだかアニメ本編を見て憤っていた自分が救われた気がしたんです。

 

みぞれは友達のいない、根暗な、何のとりえもない自分に話しかけてくれた希美こそが特別だったからこそ、互いの繋がりであるオーボエを絶対に手放さなかった。

希美は、どんな理由であれ絶対に音楽を手放さなかったみぞれだけが得た、どこへでも飛べるその翼を愛した。

形は違っていたけれど、互いをつなぐ線は一つだったことに、すごく救われた気がした。希美は相変わらずとんでもねぇ女だけど、ちゃんと自分の汚さを理解した上で、みぞれの好きなところを言えるやつなんだと思うと、なんだかとてもホッとして、涙が出ました。

 

最後、二人の道は別れたことが明確に示されます。でも、リズのもとを去った青い鳥は、またリズに会いに来ればいい。そうすれば、ハッピーエンドなんだから。

 

少し切ない、それでもさわやかな夏の夕暮れの風のような、とても素晴らしい映画でした。

とにかく五感と心をフル動員する映画なので、迷ってる方は是非、映画館での鑑賞をお勧めします。

 

ブログを開設しました(2018/04/27)

この度ブログを開設しました。

長年、良い作品、悪い作品に触れた際にTwitter上で感じたことを感じるままに撒き散らす習慣を続けていました。
瞬発力のあるアウトプットというのも熱量を含めた記憶の保持という意味では悪くないのですが、自分の感じたことをしっかり噛み砕いて文にして、強欲にもたった一人にでも「わかる〜〜〜」と共感してもらえる場所が欲しくなり、こうして開設に至ったわけです。どういうわけや。

更新頻度、続くか否か、質の良い文章が書けるかはさて置いて、気が向いた時に覗いていただけると幸いです。