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この時代に輝く翼を背負って生まれたきみに ~ シャイニーカラーズ2周年に寄せて(2020/04/24)

4月24日本日、アイドルマスターシャイニーカラーズが2周年を迎えた。

これはめでたい。おめでとうございます。

あっという間の二年間だったと思うのだけれど、振り返れば思い出が山のようにあるので、やっぱり時間は経っているのだ。長かったような短かったような。この二年間はずっと一緒だったなぁ。

 

この文章は解説や考察ではない、ただただ自分のために書き殴った文章なので、お見苦しい点多々あるかと思いますが、お時間のある方はお付き合いください。

 

学生時代から社会人数年目にかけて、自分はずっと演劇部と、その流れからの社会人劇団で活動していた。時に役者として舞台に立ち、時に演出家として舞台と向き合い、時に脚本を書いたりした。

そんな生活を続けていたものだから、多分、これまでの人生において他の人よりも「物語」というものと向き合う時間は長かったという自負がある。となると、当然多くの物語と出会っては別れる中で、好みの物語の傾向というのはどうしても見えてくるし、それに対して分析的にもなる。

 

好きな劇作家の一人に、鴻上尚史先生という方がいる。多分、名前だけなら見たことがある人も多いと思う。彼は同時に優れた演出家であり、文筆家であり、ラジオパーソナリティでもあるのだが、私は特に劇作家という形で彼を愛しているのでそうご紹介させていただきたい。

彼が長く率いた第三舞台という劇団(2011年に解散している。解散公演を生で見られて本当に良かった)は、個人的な感覚としてとてもかっこいい劇団だった。どうかっこいいかと言われると、彼らは人間と人が生きる社会のカッコ悪さ、みっともなさ、恥ずかしさを描いた上で、それらに折れない、絶望しない人々を舞台の上に描いた。そうしてそれらの物語はいつも、鴻上先生の脚本の「やさしさ」の上に成り立っていた。

彼の著作のひとつである『リレイヤー』という作品の中に、彼が芝居を作る理由でもあると自ら語る、こういったセリフがある。

 

『幻の劇団は、絶望した人の所に必ず現れるんだ。そして、絶望した人の涙を拭くハンカチのような公演をするんだ。絶望の原因そのものには無力さ。だから、涙を拭くハンカチになれればいいんだ』

 

若い自分は、それはもう感銘を受けた。自分なりに咀嚼して、何度も反芻して、噛み砕いた。物語は現実の問題を解決してはくれない。だけど物語は、時に誰かの行く道を照らし、かじかむ指先を温め、涙を拭うのだ。そうしてその時、物語は必ず『記憶』としてその人の胸の隅っこに存在しているのだ。だとしたら、それは他ならぬ”価値”ではないか。

それは涙が出るような”救い”だった。子供の頃から父親に「好きなもの」を否定されて育ってきた自分にとって、人が生きるために必要なものが『物語』であっていいと、父親ほどの年齢の大人が言っているのを見るのは、生まれ変わるに等しい衝撃だった。

そうして10年ほど、私はお芝居にのめり込んだ。そんな中でアイドルマスターシンデレラガールズのアニメに出会ったりもして、当然、『物語』を愛した私はそちらにものめり込んだ。

そんなこんなで10年生きていると。まぁ色々あるわけで。色々な物語と出会って、別れた。『大好きだ』と思える物語に出会うことも減った。

そうして色々あって、東京での活動が続けられなくなり、実家に戻ってなんとなく生きていたところで、いよいよ長ったらしい自分語りが終わり、アイドルマスターシャイニーカラーズと出会った。

 

シャイニーカラーズに対する期待は、自分にとって初めて「サービス開始から触れられるアイマス」ということで、かなり高かったと記憶している。しかしそれ以上に今でも覚えている、サービス開始数日で始まった「Light up the illumination」のイベント、第4話「1番輝く、そのために」を読んだ時の衝撃こそが、自分と『シャイニーカラーズ』の本当の出会いだった。

そこにはやさしさと、自分の失敗に折れない人の姿があった。めぐるは、灯織の気持ちを恐らく知っていて、彼女が自分から口にするのを引き出し、待った。今だからわかる。最初から一貫していたそれは「あなたの気持ちを私は決めつけない」というめぐるのやさしさだった。

灯織は変わろうとした。自分の弱さを受け止めて、「それは良くないことだよ」と教えてくれた『仲間』のために変わろうとした。そうして変わろうとした灯織を、めぐるは大袈裟に喜んだりせず、「うん」という言葉で受け止めた。

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それは間違いなく、自分が好きな、そして多くの人が好きであろう、「やさしさ」を骨子にした物語だった。

思ってもみなかった『物語』の存在感に、当時の自分は大層面食らい、のめり込んだ。

だが、当初のシステム面がお世辞にも褒められたものではなかったこともあり、周囲のシャニマスに対する反応は芳しくなく、「この子はいつまで続けられるんだろう」という漠然とした不安とともに、Twitterで出会った(一方的に認知していたとも言う)数少ないプレイヤーとともにシャニマスの魅力を必死になって発信続けた。

 

そんな中迎えた2018年9月のTGSのイルミネのミニステージは、リリイベ以外で初の公の場でのシャニマスのライブパフォーマンスということもあり、ニコ生ではあるが固唾を飲んで見守っていた。コメントでも少しでも盛り上げたいし、何よりも彼女たちの「中の人」が、どう舞台に立つのかが気になって仕方なかった。

この辺はもう、最高だった記憶しかない。どんどん舞台の上で洗練されていくパフォーマンスと、シャニ1stの発表。大袈裟だと言われたけど、安心して本気で泣いた。

 

自分の杞憂をよそに、シャニマスはどんどん加速した。

1stライブは最高の思い出で終わった。現地チケットは手に入らなくて涙をのんだが、現地物販に行って、世界にはシャニマスを好きな人がこんなにたくさんいたのかと驚いて、嬉しくなった。

1stの最高のパフォーマンスと、ストレイライトの追加発表、1周年施策がひと段落した頃には、新規プレイヤーもかなり増え、もうコンテンツの存続に関しては心配することもなくなった。

サマパ辺りから、シャニマスを好きなオタクとの交流も少しずつ増え始め(いつもお相手していただいてありがとうございます)、ネット上での交友関係に疎かった自分も少しずつ「知り合いのオタク」が増えてきた。

 

その間にも、シャニマスはどんどん物語を紡ぎ続けた。紡ぎ続ける中で、少しずつ変化が見えてきた。感謝祭辺りから、物語にほんの少しずつ「痛み」が混じるようになってきた。それは人によっては望ましくなく、自分にとっては好ましい変化であった。

シャニマスはこの1年間、「やさしさ」から逃げず、描き切った。やさしさから逃げない人は、「痛み」との正しい向き合い方を知っている。少なくとも、今まで僕が出会って来た『物語』を書く人たちは、皆そうだった。

シャニマスは期待を裏切らなかった、その粋が、去る2月に開催された「薄桃色にこんがらがって」である。それは敗北する人間と、それを越えていく人間が、それらを飲んで、そろって前進することを選ぶ物語だった。詳細な感想は当ブログでも書いているので、一戸前の記事を読んでください(宣伝は基本)。

 

そんなこんなで、この2年間はずーっとシャニマスが好きだった。基本的にそういう性質のオタクではあるが、失望するようなことは一度もなかった。言葉にするのが難しい概念ではあるが、その絵に、芝居に、テキストに、込められた物語を愛した。

そうして3月、当然開催されるはずだと信じていたスプリングパーティは、皆知っての通り、世界中に蔓延した新型コロナウィルスの影響により中止になった。5月に控えていた2ndライブも中止が決まった。仕方ないとは言え、やりきれなかった。

 

この時代に生まれたことは、シャニマスにとって不幸だったのかも、と思うこともあった。でもすぐに違うと思ったのは、シャイノグラフィのフル尺で2番のサビを聴いた時だった。確かに歌っているのだ。「世界に希望を見せたい」と、彼女たちは歌っている。

それは全くの偶然なのだろう。作詞作業なんてのは世界がこんな状況になるもっとずっと前からやっているはずであって、そこに関連を見出すのはきっとナンセンスなのだ。

でも、そこに意味を見出す人間が一人でもいれば、きっとその偶然には価値があるのだ。かつて「演劇は涙を拭うハンカチだ」と教えてくれた人が、自分の呪いを解いてくれたように、このワンフレーズに、愛の言葉に、私はまた希望を見て、彼女たちを好きになるのだ。

 

シャニマスを愛する自分を、高尚な人間だと思ったことは一度もない。善良な人間でいたいと思いながら、時に悪意で人を傷つけ、時に無自覚に誰かを踏みにじり、それに気づきもせず平気な顔で歩き去ったりもする、そういうどこにでもいる人間の一人だ。

でも、私の心にはこの2年間少しずつ積み上げてきたシャイニーカラーズの物語があって、くじけそうなとき、苦しいとき、泣きたいとき、そっと涙を拭ってくれる。その事実が、私には嬉しくてたまらない。

 

改めて思うのだ。

特別でも何でもない、自分なんかに寄り添ってくれてありがとう。

これからも、良い時も、そうじゃないときも、きっと一緒にいよう。

たくさんのお話を聞かせてください。楽しみにしているよ。

 

現実の問題に対して、『物語』は無力だ。それでも、涙を拭うハンカチにはなれる。

この混乱と分断、不寛容の時代に、私の涙を拭うハンカチがあなたであってくれて本当に良かった。

改めて2周年、本当におめでとう。

 

 

あなたのファンより